こちらもだいぶ高齢になられてますが、その叔父さんから父宛てに届いていた手紙が父の机の上に広げられたまま置いてあった。
その前に、父に叔父の近況について聞いてみたのがあって、そこで返ってきた応えに心が動いていたので、ふと拝見してみたのだわ。
なるほど、確かに、父の言ってた通り。。。
そんな、叔父さんの心境が吐露された文。
年齢が上がった今でも達観した境地にまるで行けない、というようなことも記されていて、苦悩している感が伝わってきた。
ふと思ったのは、本人がそう感じていても、
実際のところ、ある面では達観したところがあるから、
人生通して追求してきたことをまだやり尽くしてない、まだ死ねない、
という境地に至ったとか、情熱を持ち続けてエネルギーを湧かせてることが出来ているのかもしれないなと。
その叔父から見たら、兄にあたるウチの父は達観しているように感じるようだけど、
けれど、出た言葉、文章の裏側には自ずとその反対の心理が存在しているように思えるね。
父もまだまだなにか向かいたいところがあるように感じる。
”彼岸”と”此岸”が引き合って、それこそが、この世界に生きてるって。
「達観」って次のフェーズが開くということか?
終わりはなくて、ずっと楕円、螺旋のような動きの中なのか。
父の様と、叔父さんの手紙から察する様に、自分にも流れ繋がってくるアート的な感覚を垣間見ました。
うまいこと表せないけど、また表さなくていいとも思うのではありますが、、、
生まれる前から永遠に持っている情熱が誰にもあるね、、なんかそう感じました。
フッと、叔父さんに手紙を書いてみようと思った。
人を動かすのはやはり想い、なのだなぁ。
↓↓↓↓↓↓↓画像拝借、拝。
三千年に一度の大変革期、存分に行こう〜!