2025/03/07

叔父の想い〜言葉を超えた領域(4)

父の弟、自分からは叔父さん。
こちらもだいぶ高齢になられてますが、その叔父さんから父宛てに届いていた手紙が父の机の上に広げられたまま置いてあった。
その前に、父に叔父の近況について聞いてみたのがあって、そこで返ってきた応えに心が動いていたので、ふと拝見してみたのだわ。

なるほど、確かに、父の言ってた通り。。。

そんな、叔父さんの心境が吐露された文。

年齢が上がった今でも達観した境地にまるで行けない、というようなことも記されていて、苦悩している感が伝わってきた。

ふと思ったのは、本人がそう感じていても、
実際のところ、ある面では達観したところがあるから、
人生通して追求してきたことをまだやり尽くしてない、まだ死ねない、
という境地に至ったとか、情熱を持ち続けてエネルギーを湧かせてることが出来ているのかもしれないなと。
その叔父から見たら、兄にあたるウチの父は達観しているように感じるようだけど、
けれど、出た言葉、文章の裏側には自ずとその反対の心理が存在しているように思えるね。

父もまだまだなにか向かいたいところがあるように感じる。

”彼岸”と”此岸”が引き合って、それこそが、この世界に生きてるって。

「達観」って次のフェーズが開くということか?
終わりはなくて、ずっと楕円、螺旋のような動きの中なのか。

父の様と、叔父さんの手紙から察する様に、自分にも流れ繋がってくるアート的な感覚を垣間見ました。
うまいこと表せないけど、また表さなくていいとも思うのではありますが、、、
生まれる前から永遠に持っている情熱が誰にもあるね、、なんかそう感じました。

フッと、叔父さんに手紙を書いてみようと思った。

人を動かすのはやはり想い、なのだなぁ。
 
↓↓↓↓↓↓↓画像拝借、拝。



 
 
 
 
 
 
三千年に一度の大変革期、存分に行こう〜!



2025/03/05

父との邂逅〜言葉を超えた領域(3)

先日、久しぶりに帰郷することになって、父にも久々に会ったのですが、、

なかなかの高齢なので、体も色々と自由のきかない感じが増えた。

邂逅とタイトルづけしましたが、そう感じるくらい、新しい感触に遭遇。

父が横になってる時に、ふと思い付いて足をマッサージした。

特に、足指などの先端あたり、リンパ的なところでしょうか。。。

一分ほどで「ああ〜〜気持ちええわぁ〜〜〜」

声色から、心底気持ちいいのが感じられて、嬉しくなるネ。

左右交互に15分ほどかな、その間何回か同じ反応を。

やっぱね、末端系は滞りがち。それで意識も行かなくなる。どこまで体全体を意識できてるかってのはとても重要よなぁ。

さらに身体の領域を超えて、、別の言い方をしますと、「身体」を大きくしていく感覚。

息を広げていく感覚。

究極は宇宙大にまで。。。


ちょいと逸れた。

意識次第でどんな器官でも甦る。

それをたくさん手伝いたいと思った。


マッサージしている時、言葉を交わすことは余りなくても、脳同士が直に通信しているような感覚があって。

春の午後のなんとも暖かい日差しの中、深く深く鎮まった至福の感覚。

永遠と刹那が同義だと確信できるような、言葉を超えた領域でした。。。

ありがとう。



2025/03/04

ショートムービーの件と、、、言葉を超えた領域(2)

昔、WaSaBi!を立ち上げようと思う前に、一人でどこまで作れるかやってみよう、と思い立って、5〜6曲を寝食忘れて作ったことがあった。

それが終わった後の二ヶ月くらいは、起きてもすぐ眠くなるくらいに何かに没頭して放出した感があったもんでした。

が、そんなして作ってはみたものの、当時は「自分の領域を出るものではないな」と、、、自分でも驚くものを作りたい、と気持ちは移っていく。 

では今はどうなんだろう?

なかなかに、気づかぬうちに、既存の領域で考えている自分がいる。

時が重なるとそうなりやすいんだろうね。

けどWaSaBi!を立ち上げた頃に比べて圧倒的に違うのは、ネット世界の指数関数的広がり。

時空間的にも物凄い広がった。

それでも思うのは、そこに全てがあると錯覚しないことは大事じゃなぁ。 


因みに、ところで、、、冒頭に言った5〜6曲のソロ作品。

あれがWaSaBi!への意志を生んだのが一つ、

もう一つは、テープにダビングして、、

マエストロ、バーニー・ウォーレル に友人伝手で手渡しして貰ったことに繋がることに。

そしてお返しに、直筆サイン入りのファンカデリックのLPをプレゼント頂いた。

バーニーが見守ってくれている中で、Clavinetを弾く。。。