2015/08/17

すみだジャズ

錦糸町〜スカイツリー辺りでやってる、墨田ジャズフェスに行ってきた。
澄田が墨田ジャズフェスに・・・

ハイ。。。

メインステージのトリで、”沖縄のグランドマザー”登場。
沖縄の心を唄う、という人。
名前は、すいません、ど忘れしました。
・・・検索してみて下さい。

さて、そのグランドマザー、歌い出したらいきなり凄いピッチ。
”なんじゃこれは?
”若干音痴?
"それともお年?
最初はそんな風に思ったが、もっと歌にフォーカスして聴いてみると。。

これは、、音階の方が違うんじゃないか?!

西洋音階に慣れてきたからね、、
ピアノの音やアコギではうまくかみ合わない。
三線とだと割とシックリくる。

話は飛ぶが、スリルに入ったころ、「グリッサンド禁止令」を出されたことが。
が、今思えば、12音階では表現できない何かを感じていたのかもしれない。。。
な〜んと、超自己肯定(笑)。

話を戻して、、、
沖縄戦の鎮魂歌。
ライブというより儀式のよう。
音楽の元々持っていた役割かな。

不思議なもんで、、
始まったころはなんとなくざわついていた心が、段々静かになっていくのを感じる。
多少お酒が入っていたからか、、、?

鎮魂が行われた、そんな気がする。
この国には、まだ要・鎮魂なモノが沢山あるのだなぁ、、そんな実感。

唐突ですが、QUEENの"We Are the Champions"
歌詞の解釈は微妙に色々ありそうだが、あの曲で歌われている"Champions"の"We"と、
"no time for losers"の"Losers"は、同じなんじゃないか、と思うんよね。
勝ちばかりの人間なんて居ない。
敗北から立ち上がらなかった"Champions"なんて居ない、そんな風に。

現代西洋のアンセムの象徴みたいなこの曲で、誰もが勝者になれるし、そして誰もが敗者だった、なんていうことを感じるのよね。
戦勝国もほんとのところは勝利してないんじゃないか。
いや勝ったのは確かだけど、その勝つことに縛られて、ず〜っと「勝つこと」に負け続けているのかもしれんなぁ。
この曲を聴きながらそんなことを。。。

もっかい話を戻し、、、
鎮魂の歌の後に、踊りの歌。
会場で阿波踊りみたいなのが始まる。
ある種トランス。

自分にも西洋音階からはみ出したい衝動がある。
でも、八百万の神が跋扈しているだけなのかもな、とも思うこともある。
迷惑な神も居る、でも居ていい。

昔から、戦いに臨む前に祭りのように景気付けして、、
また、陣太鼓というくらいだから、戦の最中も音で高揚させてたのだろう。
音はアジテーションの道具としては強力だから、気をつけないといけないな。
昔からなんとなくそんなことを思っていた。
そして、改めてロックやジャズも含めたポップスの素敵さ、有難さが身に沁みる。

音楽の未来が少し見えた、、かな。

今日も地球が穏やかであったことに感謝。

PS: こちらは、近藤房之助さんのステージ
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