去年の夏に晴れて全米公開となった時も、今の日本では公開されんかもなぁ、と思ってはいたが、この秋公開されている。
ということで観てきた。
「人間」 の性能自体が全然未開発の状態になっていることに意識が行きだしてから、善悪の領域、好き嫌いの低い次元領域ではないところからの視点が少しずつでも持てる、、、いやまだまだそこまで行ってはおらんけど、少なからずそういうことを意識するとしないではだいぶ違って感じる。
まぁ自分のことになるとホンマまだまだ情の階層に引っかかってしまうのではありますが、映画ならば割とそこを越えれる時があって。
人身売買、小児性愛者。
日本にいるとまずそんなことを意識することはないけれど。
案外と諸悪の根源か、そこと密に結びついているんじゃないかと。
去年表沙汰になったジャニーズの性被害も同根でしょう。
日本でも実は年間千人超えの行方不明者が出るらしく、そんな情報はまず大っぴらには出回らない。
自分とは関係のない世界、じゃない。かの事が回り回って届いてくるモノもあるだろう。
だからこちらから出すモノは丁寧に気をつけて送り出さんといかんな、と思う。
というところで、感じたことを箇条書きにしてみました。
1. 斡旋業者はまず「金」、それしかないようだ。
2. 買う者たちについては、何故そうなったのか、を掘り下げてみる。
3. 子供の健やかな成長に反対する人間はいない、全人類共通。というか未来の子供達の為にどんな場を用意していくんか、というところを常々考察する、じゃろう。
4. 悲喜交々、もそろそろ階層をあげて解消していく時代に来てる。
5. 人への愛、という普遍性。子への愛という特別性の両方から事を見る。
6. 金、もっというと金融の暴走が行きすぎた成れの果ての今の世。これを大幅に変えたら一気に弥勒の世が出現すると思う。
7. 楽しさ、というものも一回全部見直してみる。永遠に続くような愉しさ。歓喜の領域に向かう。反比例するように聞こえるかもだが、実はメチャメチャ鎮まったものだろう。
8. 多分だが、キリストの再臨、仏陀の再来、というのは我々皆がその境地に入る、という事じゃろう。己の中にイエスもブッダも在る、という。